時代はどんどん進んで、今ではインターネットでなんでも調べられる時代になりました。
しかし、僕が小さい頃にちょうど、インターネットが出てきた。っていう感じでしたが、まだまだ不便で一般的なものではありませんでした。
そんな頃にゲイの僕は思春期真っ只中だったので、「自分が男が好きかもしれない…」という時はとても悩んだものです。その頃は「ゲイ」という言葉も知らなかったです。そんな僕がゲイを自覚して今に至るまでの「ゲイとの向き合い方」についてまとめました。
ゲイがなにかもわからない学生時代
今はわかりませんが、僕が学生の頃は日本の教育ではストレート、ヘテロセクシュアルしか存在しないものとして教育があります。性教育、英語、国語の授業でも恋愛とは男女のもの。というのが「普通」として教えられます。
なので、自分が男が気になる。という気持ちになってもこの気持が「なにかはわからない」という状況でした。
女性と付き合うも、なんか違う感
幼少時や学生時代にはまだ人を好きになるってちゃんと理解してなかったと思うんですよね。なので、なんかみんなが女子と付き合ってるし、自分も彼女作らないと。っていう感じで3人ほど中学生、高校生で付き合いました。
しかし、なんか違う感がずっと心のどこかであって、憧れの男性の先輩と居る時が1番ドキドキ、わくわくするような感覚がありました。それがまだ「ゲイ」であるとも、「恋愛」であるとも自分は気づけなかったんですよね。
オカマという言葉に感じる違和感
日本では昭和〜平成の時代にもまだ、「オカマ」という言葉が多く使われていました。男性を好きな人は女性の格好をしている、性転換をするニューハーフのような人すべてを表すように雑に「特殊なもの」として扱われていました。
ノンケから見ると男を好きだとどちらかが女でないと、不自然。となってしまうからなんでしょうか?
ただ僕は見た目、振る舞い、仕草は一般男性と同じで女性っぽくなりたいと思うことは一度もなく、性転換ができるならなりたい。とも思いませんでした。
オネエという言葉に変わっただけ
日本では現在マイルドに表すためなのか、各メディアがオネエという言葉を使っていますが、それも正直違和感があります。どうしても男女が恋愛をするという構図が必要なのか?と思いますが、最近思ったのはこれらの言葉を使っているのは固定概念が強いひとで、なかなか自分の考えを柔軟にできない人はそうなってしまうものなのか、と感じています。
僕も実際ノンケとして生きていたら理解できるかどうかは、わからないので今はこれでも理解してくれる人も増えたので今はこれで良いのかなって個人的には思っています。
性自認と性的趣向は別物
自分もゲイでありながらきちんと理解していなかったんですが、LGBTQと言っても様々な種類の人が居て性自認と性的趣向は別物だということです。
例えば男性として生まれて男性が好きっていうと1種類に感じますが、自分の性自認は女性の場合は「女性に変わった上で男性を好きになるということ」です。僕の場合は性自認は男性で、性自認も性的趣向も男性な人が好きとう感じです。
女性から男性に性転換したあとに男性を好きになる人も
女性として生まれて、女性を男性として好きになったから性転換し、男性になって女性と恋愛すると思ったらその後性的趣向が男性に変わり…男性として男性が好きという人も中には居ます。なのでLGBTQといっても多種多様ということです。そういう人もいることを認知し、理解する。というのが広い意味でLGBTQの理解なんじゃないか?と僕は個人的に思っています。
ゲイの仲間が世界中、日本中に多いことを知ってからの人生
僕が中学生になる頃、徐々に家庭にもインターネット、PCがあるという生活になってきました。その頃、携帯電話を持つようになりキーワード検索で「男同士」「男 裸」を検索していくうちにそういう人たちを「ゲイ」と呼ぶことを知りました。
その後、ゲイについてたくさん知ることができて1番自分がほっとしたのは世界中にはゲイがこんなにもたくさんいるっていうことがわかったことです。日本では約10%、約1割の人がLGBTQに当てはまると言われています。10人集まれば1人はLGBTQになるということです。
全国20歳から69歳の個人42万8,036名、有効回答者が34万7,816名の調査結果です。同研究所の調査によると、LGBT・性的少数者は全体の約10.0%という結果が示唆されています。
LGBTの割合は?日本と世界でグラフ化。[2020年最新の調査結果]より
初めてゲイと会った時
初めてインターネットを通じ、ゲイと知り合った時は想像が壊れる感覚があったのを覚えています。見た目や話し方では「なにもわからない」のです。
自分はこころのどこかで女性っぽい仕草があったり、男らしくなかったりするんじゃないか?と思ってましたが、初めて会ったゲイの人は体育の教師をしている人で見た目、話し方では全くわからないゲイでした。
ゲイでありながらゲイを差別的な目で見ていた自分にもびっくりした瞬間でした。そうか、別に人ってそれぞれだもんな。と当たり前なことを思いました。
ゲイで生きることに後悔もなく、来世がゲイでも良い
10代の頃、学生時代は日本の昔からの「結婚して子どもを持つことが幸せ」というビジョンの中で生きていたのでゲイで生まれたことを後悔することもありました。
ただ今は多様性を自分でも理解し、自分もそう生きることができていて幸せな日々を送ってます。ゲイで生きることによって生きづらいことは正直まだまだ多く、世界規模で見るともっと辛い立場の国も多いです。
しかし、現状で僕はゲイであることのメリットもデメリットも理解して、来世もゲイで良いなって思っています。もっといえばどんな性別でも性的趣向でも良い未来が待ってると信じてます。
別に誰がゲイでもいいんじゃないかな
玉ねぎを好きな人も居れば、嫌いな人もいる。それと性的趣向などは同じかなって思っていて、その人がゲイであってもゲイでなくても別にいいんじゃないかなって最近は思っています。
「玉ねぎ嫌いなんだ?でも栄養があるし、美味しいから食べないと普通じゃないよ」というのはどうかなって思うんで同性愛の問題もそんなくらい軽いものだと考えるのも良いんじゃないかなってゲイリーマンの僕は日々感じています。